カオスな多・他視点考察集(旧MAIN BLOG)

「クロスオーバー(否音楽)的関連性(横断複合関連性)」視点からの「アート全般」についての考察集(否カルト)

なぜ「カオス」なの?「一問一答」第八弾

「一問一答」第八弾

くれい「いきなりですがストレートな質問として、なぜあなたの5本のブログのタイトル冒頭に『カオスな』とつけられているのですか?」
いわし「鋭い質問ですね。その質問を待っていましたと言ってしまっては自作自演が思いっきりバレてしまうのですが、ここでいう『カオス』とは『混沌』とか『多様性』という『本来の言葉の意味』を重要視しているのです」

くれい「そうなのですね、私は申し訳ないのですが『カルト』と混同していました」
いわし「その混同は多くの方がされると思われますね。なので『混同されるのを恐れずに使っている』というのが本音です」

くれい「その『カオス』とは現代社会についてという事になるのでしょうか」
いわし「確かに現代社会も『カオス化』しているのも現実として突きつけられていると感じている方も多いと思いますが、正直な話オレの頭の中の思考も『カオス』なのですよ」

くれい「え?言っている事が少し理解できないのですが」
いわし「それは当然だと思います。オレ自身も理解も把握もできていませんし、先人は『自分ほど自分のことを知らない人間はいない』とも言っていますしね」

くれい「少しずつ理解できてきたような気がします。確かに記事ごとで矛盾が現れてくることも多いですよね。例えば

media.kitanoiwashi.com

media.kitanoiwashi.com

では「カタカナ語乱用批判」をしている(ほかにもあったと記憶)かと思えば

main.kitanoiwashi.com

の記事では『あえて「カタカナ語」を使う理由』を説明したりしてますね」
いわし「そうなのですよ。ただその記事の大きな違いは『シニカルな視点』なのか『アイロニカルな視点』なのかの違いがあるのです」

くれい「えっと・・・『シニカル』と『アイロニカル』とは?」
いわし「あ、このあたりは日本語化するのが難しいので敢えて『カタカナ語』を使うのですが、両者に共通しているのは『批判』や『皮肉』なのですが、前者は『否定的』なのに対して後者は『肯定的』なのです」

くれい「またちょっとだけわかってきた気がしています」
いわし「それでいいのだと思いますよ。前にどれかの記事で書いたかもですけど『千里の道も一歩から』ですから。オレもその精神でこのブログを書き続けているのです」

くれい「なるほど。それでは最近変更した『カオスな総合アーティスト』と名乗って?いる意図とは?」
いわし「そうですね、その後に短く書いている自己紹介に『「地球上から宇宙のすべてに存在するものは"繋がりのあるアート"である」との持論を持つチョイと変な思考を持つご隠居♂さんです』と書いている通り、『音楽』を演ったり聴いたりしているオレも『分野が違うと思われる多方面の事柄をつなげて考察するブログを書く』オレも『アート』を作成している『アーティスト』だと思っているので『ヒトコト化』すると『カオスな総合アーティスト』になるわけなのです」

くれい「納得できるようなできないようなというのが正直な感想です」
いわし「それでいいのだと思いますよ。どのような方法であれ『自己表現とは究極の自己満足を追求する事によって自己のアイデンティティを確立する手段』という持論も持っていますから」

くれい「難しすぎますってば」
いわし「申し訳ないです。油断すると『カオスな面』が出てしまうもので、決してインテリぶっているわけではないのでお許しください」

くれい「今日のお話では『5本のブログにおける一貫性』が確認できたと思います」
いわし「そう思っていただけると嬉しいですしありがたいです。そのために今回はこのテーマを選んで自作自演をしたわけですから」

くれい「またそうやってわざと『自作自演』と言い切るあたりが『カオス』ですよね」
いわし「まさにその通りです。このあたりはこの『一問一答』が真面目なオマージュとしての『太宰治』の『一問一答』のスタイルそのままの『自作自演のインタビュー形式を使った自己表現(説明)』でもありますから」

くれい「お話が着地したようなので今日はこの辺りで失礼します」
いわし「楽しい会話ができました。ありがとうございました」